情報伝達一考   村島一彌

 

最近理科系思考人口が増えてきて、今後もその傾向がますます強くなるだろうと云われています。ここで云う理科系思考とは「日々最新のもの/こと(製品/技術/知見)にこそ価値があり、同一線上にあった旧来のものは新しいもので塗り替えられて価値を失う」という点に価値感を見い出す考え方を意味して使っています。

 

いわゆる情報革命以降、文系の世界に於いても、例えばPCクライアント/サーバ、クラウド等の最新システムやアプリケーションソフトなどへの理解、活用力がないと、仕事も学問も、社会生活にも不便を来たすことになりました。そしてそれらは頻繁にアップデートされて、その都度旧バージョンに基づく知識は陳腐化してゆきます。

 

革命が起きたのだから止むを得ないのですが、この流れの影響は技術に関わりのない分野にも及び、市民生活の思においても、新しいものにこそ価値ありの思考が強く流れる結果を招きました。同じ企業内の同世代間にさえも、両者の知識の新しさに違いがあれ、あたかもディジタルデバイドと併行するかのような形で価値観が異なり意志の疎通に齟齬を来たすという理科系思考が影響を及ぼしてきていると思えます。

 

情報が正確に伝わるためには、送り手の描く思考の映像を受け手がイメージとして再構築できることが必要ですが、年長者の経験、マナーなどが古いものとして顧みられなくなったが故に社会文化の基盤の承継が不連続となってしまい、新旧間の映像には歪みが生じているようです。情報革命により情報伝達ツールは飛躍的に発達したのに、皮肉にも目的とする思考の伝達に不具合が生じることとなっています。送受信のプロトコルやツールの用意は情報の外枠のみの用意に止まり、本来の意図や企図が届かないということです。

 

翻って見ますと、半世紀以上前には日本社会は工業化には最も有利であると云われていました。その理由は、資源は無いが教育レベルの高い人材が豊富で狭い国土に単一言語/民族が密集する環境は、情報が誤りなく伝わり陸海運や情報通信に要する時間とコストも少なくて済み、他国に比して優れて優位にあると云うことです。

 

しかし、情報革命はこの優位さをほぼ消滅させました。ロボット生産に現場の技術や人数は不要で工場立地は不問、運輸、通信の時間とコストは飛躍的に小さくなり地球は24時間眠らなくなりました。そして新しいものにこそ価値があるとの考え方に則り日々新しい多様な価値観と生活が尊重される社会が生まれたのですが、表立って認識はされていなくても、社会の根底にあって我が国に優位性をもたらしていたコミュニケーションの基盤と信頼性は、上に述べた事情から複雑多様となり危うくなってきています。

 

人種、宗教、文化が混合のアメリカでは、互いがイメージと思考を共有するためのテンプレートとして標準化(規則/仕様書/マニュアル)が企業をはじめ多分野で採用され、組織内コミュニケーションの共通基盤となっています。今後、民族、言語、宗教、文化の異なる10余億の人口を持つ中国やインドでこのアメリカ的標準化が浸透すれば、コミュニケーションの基盤ができ、その効果は多大と目されます。

 

最近のJRや病院事故の他、過去多数の例にもあるが如く、規則、規範を定めていても現場各層で勝手な斟酌を加えたり守らないことが多いと言わざるを得ない状況を見れば、この辺りで情報伝達基盤の改善強化に真剣に取り組む必要のある組織も少なくないかと思えます。「伝えたつもりが 伝わっていなかった」の排除をめざし、情報の真の内容が素早く伝わり誤りなく理解される基盤を再度確保することが、社会と組織の健全な発展を支えるのに不可欠なのではないでしょうか。