<日本のグローバル化を改めて考える>     大谷 弘

グローバル化の言葉が当たり前の様に語られ始めて久しくなりますが、その割にはその意味する所の解釈は様々、同じ企業内ですら解釈に統一性がなく言葉が多々独り歩きしているのが実情ではないでしょうか? 筆者は今一度“グローバル化の意味を考えて頂きたく問題提起する次第です。

先ず、我々の先人が日本を取り巻く海外諸国の“グローバル戦略”に対応してきた歴史を学びたいと思います。

◆『古事記』と『日本書紀』はそれぞれ712年と720年に完成しています。ともに、神代からの歴史書であるにもかかわらず、なぜ、わずか8年の間に2つの歴史書が作られたのでしょうか?

 

それは、『古事記』が天皇の国土の支配や皇位継承の正当性を国内に示すことが目的であったのに対し、『日本書紀』は唐や新羅などの東アジアに通用する正史を編纂するのが目的であったからだと考えられています。

 

東アジア地域で進行するグローバル化の潮流に対し、この二つの書をうまく使い分けたことが、実は非常に優れたグローバル化対応だったのではなかったでしょうか? つまり、『古事記』はあくまで日本人のアイデンティティを鼓舞し、一致団結を唱えるための書だったのに対し、日本書紀は東アジアの各国に対して、日本にはしっかりとした文明があり他国に恥じない歴史を持っていることを主張しようとしたものであると思われます。

 

◆その後の日本文化の成長過程を鳥瞰しますと、大陸の文化・文明は894年の遣唐使廃止以降も民間交易によって盛んに輸入され、唐風の文化を基礎としながらも、それを消化吸収して、自由に創り変え、日本人の感受性、日本の風土に合った文化、日本特有の文化を作り上げました。その一例が「仮名文字」の誕生だと思います。これが平安文学の発展に大きく貢献した事は良く知られた事実だと思います。そしてこれは、いわゆる『和魂漢才』の一例ではないでしょうか?

 

◆時代がずっと下って、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のグローバル化対応について考えて見たいと思います。西欧文明を積極的に受け入れた織田信長、ある時期からキリスト教への警戒心からこれを禁止して、更には権力の拡大でグローバル化を進めるべく朝鮮から中国を含めた大国を掌中にしようとして挫折した豊臣秀吉、両者の経験から、鎖国政策を取りながらも長崎出島に風穴を開けて取捨選択しながら西洋文明を取り入れた徳川幕府、何れも日本と言う国家そのものを守りながらの諸外国への対応だったと思います。

 

平安中期に成立したと言われる『和魂漢才』の考え方の流れが、この時代の内外の厳しい情勢を背景にして成熟し、それがやがて明治期の『和魂洋才』の精神へと繋がって行ったと考えたい所です。慶応4年に示された『五箇条のご誓文』では、「広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ」、また、「智識ヲ世界ニ求メ 大ニ皇貴ヲ振起スベシ」と謳われています。これは、大いに西洋の文明を取り入れるものの、同時に日本人のアイデンティティを国の内外に知らしめたものと考えると、正に『和魂洋才』の精神を鼓舞するものだったのではないでしょうか?

 

次に「和魂洋才」と今の時代のグローバル化対応について考えてみます。

 

◆更に時代が下って、戦後日本の製造業を振り返ると、米国で発祥したデミング理論を日本企業が実践して「安かろう悪かろう」の汚名を返上し、世界市場へ再度の仲間入りを果たした事実も、『和魂洋才』の一例だと思います。筆者はこの時代を自ら体験した一人として感慨深いものがあります。このデミング氏の活動を長年支え、デミング理論の普及に貢献された吉田耕作氏は、自らの体験を基に今日も引き続いて働く人々の心の活性化を通じて企業の活性を図る活動をされています。これは、今日の『和魂洋才』の一例として取り上げる事が出来ると思います。

(吉田氏活動の参照: http://www.joy-of-work.com/cdgm/index.php

 

 

◆ここまで、「和魂漢才」、「和魂洋才」を紐解き、先達が対応して来たグローバル化の歴史を振り返りました。私達が今後の日本“グローバル化”を考えるに当っては、改めてその意味する所を深く学ぶことが重要ではないかと考えております。“グローバル化”とは、ただ単にグローバルなものを受け入れることではなく、それらを取り入れることによって、日本文化そのものを更に高いレベルに押し上げることが大切であると歴史が教えてくれるのではないでしょうか?

 

松下幸之助氏がその著書「一日一話」の“国際化時代と日本人”の中で、次の様に述べておられます。「資源の無い工業国日本が、世界の諸国との密接なつながりの中で生きて行くには、日本と日本人の考え方を正しく伝えていくことが必要である。その為にもまず大事なことは、お互いにこの国日本と日本人自身というものの特性なり背景を、みずからしっかり把握することではないだろうか。その上に立って、国際化時代に処する道を、ともども真剣に考え合うことだと思う。」と。これは「和魂漢才」、「和魂洋才」に繋がる話であり、正に“グローバル化の真髄を述べられているのだと思います。

 

◆最後に、海外で活躍している筆者の旧友や海外事業場で働いている責任者の話から、今後の“グローバル化について我々が考えるべき課題を纏めてみます。

 

先ず、日本文化の特質、自社の特長を現地の人に理解頂くことができ、更に現地の文化を理解し、事業を通じてその発展に貢献することができる人材の育成が必要です。同時に、日本国内の組織もダイバシティ(文化、宗教、考え方の多様性)に馴れた風土の醸成が求められると思います。

 

今後国内に残る仕事は、単純作業ではなく高度な技術開発や知的生産性の高い仕事です。これらの仕事は、優秀な人材を広く海外に求めていく必要があります。いわゆるダイバシティを理解し、海外の人材と共存し、海外からの人材を受け入れて幅広い人たちが所属できる体制、制度を構築しなければ、これらの仕事は国内でやって行けません。

 

我々の先達が作ってきた、『和魂漢才』、『和魂洋才』で表現されるグローバル化対応の歴史をよく学び、今後は『和魂和才』 への努力と、海外に対しては『( )魂和才』 を実行することが真のグローバル化ではないでしょうか? 

 

◆終わりに、弊社( http://www.sole-japan.com/のメルマガアーカイブ2012年1月“グローバル人材ってどんな人材”に再度目を通して頂く事をお願いする次第です。